タイトル | : ふとした優しさと、Sは、峻別すべき |
投稿日 | : 2017/09/11(Mon) 13:25 |
投稿者 | : sasada |
Sは、人の笑顔を見たい自分です。
それは、とっても、素晴らしいものなのですが、よくよく見てみると、
その殆どは、自分のための優しさです。
Sの問題は、
1.笑顔を見るために、自分を生きたい自分を抑えることになり、やがて、我慢できなくなって、現実を壊すことになります。
2.よく見ると、自分のための優しさですから、我欲ばかりの自分を見ることになり、自分への失望や絶望が来て、希望を失います。
一見、Sと、ふとした優しさの自分(Y)は、同じように見えます。
しかし、ふとした優しさの自分(Y)は、自分のための優しさではありません。
それを知るには、ふとした優しさと、Sとを、峻別する方法を身に付けておかなくてはなりません。
それは、ふとした優しさは、一瞬であり、その次の瞬間には、自分のための優しさになりますから、一瞬で止める、具体的な行動はしないという注意点です。
そうして見ると、ふとした優しさは、どう見ても、自分のための優しさではありません。
ふとした優しさの時には、我欲の自分はいません。
確かに、ふとした優しさとSは、混ざっています。
Sだって、最初の瞬間は、ふとした優しさであることが少なくありません。
だからこそ、混乱するのであり、訳が分からなくなるのです。
そのためには、Sで最初に、ふと動く気持ちは、Sではなくて、ふとした優しさであると分別する必要があります。
最初に動くのは、ふとした優しさで、その次には、Sになる、と理解するのが良いでしょう。
こうすれば、自分にも、ふとした優しさがあり、Yuの子だと喜べるでしょう。