講義集
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タイトル ふとした優しさの抄録集
投稿日: 2017/09/13(Wed) 00:39
投稿者sasada

「優しいのは好きですか? 優しく生きたいですか?」という問いに、「はい。」と答えられた人は、是非その自分を生きましょう。社会は競争社会ですから、優しさは役に立ちません。しかし、優しく生きたい自分は素晴らしい自分です。それ以上のものは存在しません。何としてもその自分を生きましょう。

ふとした優しさを捕まえる方法です。かわいそうだと思った最初の1秒間、何とかしてあげたいと思った最初の1秒間、笑顔を見て良かったなと思った最初の1秒間を捕まえて下さい。その後は、「現実は変えない」という鉄則に従って、今までと同じようにしてください。最初の1秒間がふとした優しさです。

私達は普段、自分のことばかり考えています。そして、お互いを追い込み苦しんでいます。しかし、大きな生命の世界は、かぎりなく優しいです。そして、私達の中にも、優しいのが好きな自分がいます。ふとした優しさの自分と呼んでいます。自分には出来過ぎの自分、自分を超えた自分、不思議な自分です。

ふとした優しさは、不思議な優しさです。自分を超えています。自分のことしか考えられない自分の中から出てきたとは思えません。自分には出来過ぎの優しさです。しかし確かに自分の中にあります。その優しさが好きです。その自分を生きていきたいと思います。その時、本当の自分を生きていると感じます。

ふとしさ優しさの自分。その自分が好きで、その自分を生きたいと思えたら、嬉しいことです。その自分なら、自分を目一杯生きて、周りの人を幸せにできるからです。大きな生命の世界の中で医学的、科学的に自分の存在価値を実感できたら、不安や不満になることも、傷つくこともありません。その自分を生きられます。

優しさは、どこにでもありますが、殆どは自分のための優しさです。自己否定して、すべてを捨ててしまいたくなります。しかし、その中に砂金のようにふとした優しさが含まれています。砂金を集め続ければ大きい塊になります。確信を持てるようになります。最初の1秒間のふとした優しさを集めましょう。

裏切られる愛も、一時的な愛もいりません。つかの間の安心も役に立ちません。すぐに揺らぐ自信もいりません。しかし求め続けます。自分のことしか考えられない自分が、同じように自分のことしか考えられない相手に求め続けます。得られなくて絶望や諦めに陥ります。希望を失います。

それだけに、ふとした優しさは不思議です。ふとした優しさだけは、いつでもあります。その気で見ればどこにでもあります。消えることもありません。揺らぐこともありません。裏切られることもありません。もし、この優しさを生きることができたら、穏やかで嬉しく幸せです。

世界中の人が、優しくて喜びあえる世界が良いと思っています。しかも産業革命により、分かち合えば、世界中の人が豊かな生活ができるようになりました。しかし現実にはできません。おかしな事実です。K(人に自分の存在価値を認めさせようとする自分、ブライドの自分)のためです。「人間の価値は生かされてる医学的事実から来る」、この事実を共有できれば、すぐにでも優しい世界が生まれます。

笑顔を見たい自分(S)の中に、少しだけふとした優しさの自分がいます。これを分離することが大事です。Sの殆どは、自分のための優しさです。すべてが自分のための優しさだと思うと、自己嫌悪に陥ります。一方、少しでもふとした優しさの自分を発見できれば自分を喜べます。全く違う人生になります。

ふとした優しさは、誰にでも、何処にでもありますが、性格と世間の価値観の中にいる限りは明確にできません。性格分析で自分を縛っているものを明らかにすることと、頭をカラッポにする丹田呼吸法と、大きな生命の世界の中で、医学的に自分の存在価値を実感できれば、峻別できるようになります。生きる喜びと希望です。

ふとした優しさが好きな人は、競争社会の中ではとっても辛いです。競争すること、戦うこと、人を倒すことなどできません。ふとした優しさでは生きていけません。捨てようとする人もいるでしょう。しかし、それが自分の本心であったら、人生が意味を失います。大丈夫です。かぎりなく優しい心身医学を学びましょう。

ふとした優しさの自分を感じている時、不安も不満も傷つく自分もありません。将来の不安も、死の不安も消えています。不思議です。楽しさと嬉しさに包まれます。やはり不思議です。妄想でも、切り捨てでもありません。頭カラッポの丹田呼吸法と生かされてる医学的事実の世界だけです。これは実存です。

優しい自分がいます。しかしそれは見返りを期待する優しさです。それを見ると自己嫌悪に陥り捨てたくなります。ただその中に、「ふと」したものですが、本当の優しさがあります。それを捕まえることが出来れば、喜びと希望になります。その方法は、ふとした優しさと世間的な優しさを峻別することです。

私達の内には、ふとした優しさがあり、外の世界は、素晴らしい法則と美しい調和、さらに限りない優しさで、私達を生かしてくれています。なのにどうして、人に自分の価値を認めさそうとする自分(K)を生きるのでしょう。自分自身も社会も不幸にしています。人間の歴史を悲惨なものにしたのはKです。

ふとした優しさは、本当に不思議な優しさです。誰にでもあり、誰でもが本当は好きです。この優しさを生きたいです。そのために、大きな生命の世界の中で素晴らしい法則と美しい調和によって無条件に生かされている事実を知りましょう。本当の存在価値とご飯を得るための社会的存在価値を区別しましょう。

笑顔を見たい自分(S)の中に、少しだけふとした優しさの自分がいます。これを分離することが大事です。Sの殆どは、自分のための優しさです。すべてが自分のための優しさだと思うと、自己嫌悪に陥ります。一方、少しでもふとした優しさの自分を発見できれば自分を喜べます。全く違う人生になります。

優しさは、殆どは自分のための優しさです。しかしその中に、自分のためではない「ふとした優しさの自分」がいるかもしれません。もしいたら、その自分が好きか、その自分を生きたいか、その自分を生きられたらどんな気持ちがするかを聞いて下さい。本当の自分が生きていると感じられるか聞いて下さい。

多くの人は人間の運命などに関心を持ちません。しかしそれは巨大な諦めです。自分も我欲に染まっています。無力です。しかし誰にでも、ふとした優しさの自分があります。ふとした優しさの自分は不思議な自分です。決して諦めません。愛する人と子供達の未来を滅亡させることを見逃すことはできません。

私達は、産業革命以来、上位8人の所得が下位34億人の所得に匹敵する格差と、核兵器の文明を作ってしまいました。そして孤独と虚無と死の恐怖に支配され、希望を失い無気力化しました。弊害は子供たちに強く現れます。生かされてる医学的事実に基づく優しい文明を創りましょう。人間が滅亡する前に。

優しい自分を生きたいと思っても、自分の過去にも人間の歴史にも、方法はありません。競争社会ばかりで、生きることに絶望します。しかしそれは未来ではありません。心の時間軸を学びましょう。過去が未来を作っているだけです。生かされてる医学的事実の世界を学び、未来を見ましょう。創りましょう。


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