講義集
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タイトル ふとした優しさ+生かされてる医学的事実で自由自在の生き方
投稿日: 2017/09/12(Tue) 16:08
投稿者sasada

優しさは素晴らしいものです。しかし、その優しさの多くは自分のための優しさです。それを見ると、喜べません。ひどい時は、偽善者のように思えて後ろめたくさえなります。自信など到底もてません。

しかし、その中に、ほんの少しですが、自分のためではない優しさがあります。見返りを期待しない優しさがあります。ふと優しい気持ちになる、そのふとしたもので、すぐに消えてしまうようなものですが、不思議な優しさがあります。それを、ふとした優しさの自分(Y)と呼んでいます。ふとした優しさは、本当に不思議な優しさです。それを感じた時、不安も不満も傷ついた自分も消えています。過去の自分、セルフイメージ、性格が消えています。しかも、生き生きとした自分を感じています。普通の優しさから、このふとした優しさを分離できれば、そして、この優しさを生きていければ、とても素晴らしく嬉しい生き方になります。

しかし、残念なことに、ふとでしかありません。すぐに消えてしまいます。どうすれば、ふとした優しさを育てて、それで生きていけるようになるのでしょうか。

それが、生かされてる医学的事実です。生かされてる医学的事実を理解すれば、人間は、大きな生命の世界の中で、医学的に生かされて、衣食住と身の安全を得るために社会を営んでいる存在であることが分かります。人間の価値は、生かされてる医学的事実から来ることが理解できます。社会的存在価値は、衣食住と身の安全を得るためのもので、人間の本当の価値を決めるものではないことがわかります。

社会的存在価値から自由になれます。NOTWKS(ノットワックス)から自由になれます。なぜなら、NOTWKS(ノットワックス)は、社会的存在価値を得るための方法だからです。社会的存在価値を本当の存在価値だと思いこんでいるかぎり、NOTWKS(ノットワックス)から自由になれません。ふとした優しさは、競争社会を生きるためには役に立たないものとして無視されます。普通の優しさは、自分のための優しさとして、ひどい時には嫌悪すらされます。

かくして、優しさが好きで、優しさを生きていきたいと思っても、社会的存在価値を本当の存在価値だと思っているかぎりは、優しく生きることはできません。

しかし、NOTWKS(ノットワックス)では、「自分を生きたい自分」と「社会適応しようとする自分」との葛藤で新型ストレスになり生きてはいけません。適当なところで妥協する諦めの人生が続きます。

自分はそれで良くても、子供たちは壊れていきます。折角、優しさが好きなのですから、優しさを生きましょう。それには、S(笑顔を見たい自分ー殆どは自分のための優しさ)から、Y(ふとした優しさの自分ー見返りを期待しない優しさ)を分離することと、人間の存在価値は生かされてる医学的事実からくることを理解すれば良いのです。

自由自在、無尽蔵の楽しくて嬉しい生き方が開けてきます。


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