タイトル | : K(人に自分の存在価値を認めさせようとする自分、ブライドの自分)の悲劇の解決方法 |
記事No | : 12 |
投稿日 | : 2017/09/11(Mon) 19:15 |
投稿者 | : sasada |
Kは、自分の存在価値を人に認めさそうとする自分ですから、人の上にならなければなりません。 人と同じでは、人の中に埋没してしまいますので駄目です。 人以下では、完全に駄目です。
しかし、常に、人の上になることは不可能です。 人の上になろうとすることは、成功しているときでも、嫌われることです。 成功しているので、仕方なく周りは我慢しているだけです。
ただ、常に前進拡大し、成功し続けることは不可能です。やがて行き詰まり、失敗することも起こります。 このKの人が、失敗し続けるKになれば、周りが我慢しているはずがありません。 日夜、針の筵の上で生きていくことになりますが、Kを捨てることは出来ません。 犬になることなど、到底出来ません。
その状態においても、なお、解決策は、人の上になることです。 救おうとする人がいても、Kの人にとって、救われるということは、その人の上に立つことです。 結局、救おうとする人は、誰もいなくなってしまいます。
ただ、Kの人と言っても、いろいろです。 学べる人もあります。 学べる人は、考えて見ましょう。
「では、どうして、Kになったのか?」ということです。 生まれたときから、Kということはありません。
生まれたときは、E(自己防衛本能)とD(欲求本能)だけです。 すべて、親が世話をしてくれて、生きることが出来る状態です。 親がいなければ、死んでしまいます。 最も大事なものは、親です。
しかも、単に安心とミルクを与えてくれるだけではなく、無条件の優しさで包んでくれます。 親も、普通の人間ですから、いつも無条件の優しさではありません。 しかし、子供が生まれた最初の時期は、無条件の優しさです。 この時の親は、ふとした優しさの自分です。この優しさを越えるようなものは、存在しません。
安全とミルクと無条件の優しさをもらって子供は育ちます。 しかし、少し大きくなると、親はもう、無条件の優しさはくれなくなります。 親自身も自分を生きたいですし、その次の子供が生まれれば、次の子に手がかかります。
さらに、将来のことを考えると、社会は、競争社会ですから、強い子になるように、後ろ指をさされない子になるように、育てなければなりません。
その親が、Kの強い親だと、「人は敵だ。負けてはならない。勝たなければならない。バカにされてはならない。」と、子供に言うでしょう。 言葉で直接言わなくても、日ごろの親の言動を見ていると、Kでなければならない。 つまり、Kでなければ、親に認めてもらえない。優しさがもらえないと感じ取るでしょう。
当然ですが、このKの親は、子供を不安にします。 Kは、人を切り捨てていきますから、子供は、自分も切り捨てられるのではないかという不安を感じます。 安全を与えてくれるはずの親が、逆に、不安を与えるのです。 不安を感じた子供は、なおさら、良い子になろうとします。
良い子になることは、親の言うことを聞くことで、親のメッセージは、「人は敵だ。強くなれ、負けるな、バカにされるな。」です。 不安を感じている子に、不安であってはならないというメッセージを与えているのです。
子供は、無理してでも、不安を切り捨てる子にならなければなりません。 これを二重否定と言っています。 これは、むごいことです。
しかしこうして見てくると、Kの人が欲しかったものは、もうおわかりでしょう。 無条件の愛と承認です。
勿論、Kの人も、大人になっていきます。 自分で、安心とミルクと優しさを得れば良いのですが、小さいときの不安と、特に、無条件の優しさは、骨の髄にまで染み込んでいます。
まして、失敗し続けるKであれば、世間から安心も優しさももらえません。 孤立と孤独と不安のなかにいます。 体は大人でも、この状態では、心は、子供の心に引き戻されます。 Kは手段であり、本当に欲しいのは、安心と優しさなのに、それを得る方法として、Kしか知らない不幸です。
一刻も早く、このような自分分析と、頭をカラッポにする丹田呼吸法と、生かされてる医学的事実を学び、無条件の愛と存在価値を実感しましょう。
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